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脳が脳を理解することには矛盾がある

一つの脳が他の脳について語ることは
論理学的な危うさがある

ゲーデルは「人間精神は、脳の機能に還元できない」と語り
その後隠遁生活に入った

ーーー
還元できない部分に何があるのかを知りたいのだが
もう時間切れのようだ

個人的には限界を感じるので隠遁生活に入りたい

ーーー
脳機能すべてをアルゴリズムに還元することは不可能であるとする議論がある

不完全性定理を証明するにはアルゴリズムを並べるだけでは無理だという

ーーー
人間の脳は不完全性定理を証明できた

テューリング・マシン(簡単に言うとコンピュータのこと)は自己の思考の限界を示す不完全性定理を証明できないはずである

ーーー
しかしそうだとして、還元できない部分とはなんだろう

超越論的という言葉が当てはまるのだろうがその実態については疑問がある

一つの考え方は進化のプロセスで獲得された生得的な内的論理ということになる

感性と言ってもいいしも、直感と言っていい部分もあると思う

ーーー
一つの脳が一定のアルゴリズムに基づくものならば
他の脳がそれを理解するのであるから
同等のアルゴリズムを内包しているはずである

しかしゲーデルは不完全性定理を証明したのであるから
他の脳もその結論を理解することができるはずである

そうなると普遍的ではない部分を普遍的に共有していることになり
ここに矛盾が生じてしまう

だから脳が脳を理解することには矛盾がある

ーーー
まあ、そんなことを言っていないで、病気を治せばいいと思う





考えついたそのままを短くメモ

何かを考えつく場合
物事の背景は背景として別なのだけれど
その背景を前提としてて言えば
考えつくのは一瞬のことで

そんなに難しくなく説明できるはずなのだ
それをいかにも当然のように説明しようとするから
長くなるしわけが分からなくなるのだ

もっと他人を信用して
考えついたそのままを
正味のところを
あっさりとメモ書きみたいに放り出しておけば
いいような気がする

初心者には背景説明も必要だけれど
そうでない人もたくさんいるのだから

各種心理療法使い分けの技法の模索・・・現在の課題

鍋田先生とか福島哲夫先生が
心理療法の各種技法の使い分けとか折衷とかいろいろに論じている

たしかにこれまでの状況としては
ロジャースと認知療法と行動療法と対人関係療法と社会リズム療法と解決志向短期療法とが
同じ施設で対話しつつ治療に当たるということは考えにくかった

一人の人間の中で複数の技法を使い分けること自体が
混乱を生むしあれこれの弊害も確かにある

公文式みたいなものでひとつの技法に充分習熟して
そのあと、自分が次にどちらに向かうか考えたほうがいい

しかしながら各技法は治療者の一生を捧げるに充分なだけの奥深さを備えているものであって
そろそろ次の何か、というものでもない

そうはいいながら、たとえばがんの治療にあたり
外科的治療、放射線、化学療法、免疫賦活、そのたいろいろな方法があって
それらは必ずしも排他的でもなので併用を論じたり
ある時期まではどの治療法が適切でその後はどの治療法が適切でなどと
論じることができる

どのような相談者に対してどのような心理療法が良いのかについては
やはり検討が必要だろう

当施設には認知療法、行動療法、ACT、対人関係療法、社会リズム療法、解決志向短期療法、ロジャース的来談者中心療法、ユング的療法、フロイト的精神分析療法など、各領域の専門家、またはその専門家のもとで学びつつある人が集まっている

私の立場としては、患者さんの話を聞いて、インスピレーションがわけば、どれかの領域の心理療法の専門家にオーダーしているのだが、当然のこととして、その決断を正しく迅速に行うノウハウを考えるようになる

福島哲夫先生の論文の中では、「個人」が各種の技法を融合し折衷するとの意味で語られていると思うが
当施設ではどの心理療法の専門家にカウンセリングをオーダーすればよいか
という、もうすこし差し迫った、現実的で、具体的な状況になっている

現在学びつつある人はあまり周囲に影響される必要はないと思う
浅学のうちにあまりに折衷的になるのもおすすめではない

しかしながら初診から数回のうちに事情を汲み取り
どのような心理療法が適切であるかを判定する必要がある

あるいは現実的にさらに必要なのは技法との適合性よりも
人柄としての適合性かもしれないのだし
それは古くからある問題であるが
よく考えてみると、そのような人柄の人がそのような心理療法を学ぶという側面もあるのであって
また、現実にはそのような人柄の人がある心理療法を担当しているのであって
そのことを考慮してオーダーを決定するわけだ

個人的な感想としては福島先生の提案している、洞察・気づきと行動変容の二軸で4つのタイプを分ける方法は斬新であるし、ある種の説得力はあると思うのだけれど、私個人の臨床の場合にぴったりするとも思えない部分がある

そもそもをいえば
4つの分類をしたとして各種の心理療法がどの位置に分類されるのかについて
当方の勉強不足はあるとしても、意見の相違があるのであって、そのあたりからして容易ではない

それはひとつには、上に記したように、当施設の現実として、ある特定の心理療法を担当するのはこの人、
そしてその人の人柄・個性はこういうあたりという前提があるのであって、
心理療法と、その担当者の人柄とを、無限のバリエーションで考えることはできない
抽象的にどれかの療法が良いのではなく
具体的にどの治療者の療法が適しているかの判断であるということだ

そもそも診断というものが
予後の予測と治療の合理的選択を、部分的にせよ、含んでいるものであるから
誰にどのようなカウンセリングをオーダーするかの判断は広い意味での診断作業である
ここの事情を単純化して、診断名と治療技法を結合させるとすれば
やはりさらに一考を要する局面であろうと考えられる

様々な技法が、各種の病態に対して、どのように対処できるかを考え続けているし
どちらかと言えば、限定するのではなく、拡張する方向でトライを続けている
たとえば認知療法は統合失調症に対しての拡張を試みているわけだし
対人関係療法でも適応は拡張しつつある現実がある

適応拡張の局面で融合的になり折衷的になる傾向は当然現れるのだが
そうなると効果判定が困難になる
そうでなくても、治療要因は何であったか、さまざまに問題はある上に、そのような問題も起こるわけだ

流派の純化と総合化はいつでも二つの傾向として内在している
純化の動力がなくなれば多分総合化してうすく分散してゆくだろう

たとえば神田橋的という言葉で何かを指し示すことができるのかどうか
各論者によって意見が異なるだろう

ーーー
いろいろと書いたが
当施設の現状として、利用可能なリソースは各種あり、別段喧嘩しているわけでも癒着しているわけでもないので、
合理的な判断を下したいのだけれど、
意見を聞いていれば、各流派でいいことばかりを言うので、
さて、現実に、どのように判定したら良いのだろうか
という問題に直面している

ーーー
各種技法をどの局面で使うかという
メタ技法が求められている

ーーー
昔はたとえば精神分析は何病には禁忌とか言われたりして
しかしそこにチャレンジして拡張したと言ったり
その拡張は精神分析とは言えないと言ったり
何でもいいから治るのかどうかだけ教えてくれと言ったり
だから素人は困ると言ったり
昔はそんなふうだったのだろうと想像する

いまは、この患者さんは誰にお願いすれば良いのか
考える必要がある





夏服の眩しさ

夏服の眩しさについて書こうとしたが
言葉は追いつかなかった

5月の終りの日
雨が上がって遠くまで良く見える一日だった

職務上の共通の価値観

カウンセリングの行き先をあまり疑問にも思わないでさっさと決められて
それでいいと信じこんでいられるのは幸せなんだと思う

都心部のサラリーマンを相手にしてあまりに広い範囲の価値観を扱うのもよくないだろう
ある程度狭い範囲での了解をもとにしないと話が迂遠で仕方がない

その場ではそれでいいのであるが
あとで考えてみると
疑問は大きい

一応、職務としてはそれでいいのだと思う

ーー
掘り下げていけば
理性の限界とか脳の限界
人間の限界にいきあたり
それについてはもうずいぶん頭のいい人が絶望的な結論を証明しているらしい
証明してしまうというのもすごいけれど
他に楽しいことなかったのかなとか思い
しかしそんなに手間でもなくできたんだろうんなとも思う
ゲーデルとか20歳代での仕事のようだ

ーー
円熟してきたぞと思う頃はもうすでにすべてを忘れているのだろう

排出放射性物質影響調査:大気中核実験

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1960から1966位までかなりの高値であった
1985年の少しあとに出ているのはチェルノブイリ

「排出放射性物質影響調査:大気中核実験」
http://www.aomori-hb.jp/ahb2_08_t01_term.html
上のグラフは青森市で観測されたストロンチウム90(Sr90)とセシウム137(Cs137)の年間降下量の変化を示している。
青森では六ヶ所村の件もあり継続的な調査が報告されているらしい。

有効な対策はなんだろうと話している間にどんどん時間が経つ感じがして何とも無力である

テレビで、こんな原発はテロリストに狙われたらひとたまりもない、などと発言しているが
3.11前ならともかく、3.11後にそんなことを言ってどうするというのだろう
地震にも津波にもだめだった、多分テロリストとかにもダメなんだろうとは容易に推測がつく

テロリストといえば生物兵器とか化学兵器とか非常に危険なものがずさんな管理下に置かれているのだろうな
とも推定する
クローンの話とかも結構まずい部分があるような気がする
誰だったか、私の友達の友達はアルカイダで、しばしば日本に来ているとか言っていたような気もする

すべてに対して後手に回っていいのだろうか、と思うし
では個人的に日本を出ればいいと考えるのも何だか違和感がある

こういう場合老人はある程度破れかぶれでいられる
1960年代の放射性降下物を存分に吸ってしまったのだから、もう仕方がない

仕方が無いと感じること考えること自体が放射能による脳の破壊のサインなのかもしれない





ボストンのWCBCT2010招待講演

ボストンのWCBCT2010招待講演 タイトルだけでふむふむと

バーレット(クイーンランド大学) 
「家族と学校コミュニティにおいてリジリアンスを作る」
Paula Barrett (The University of Queensland, Australia)
Building Resilience in Families and School Communities - Quo Vadis?
 
バーロウ(ボストン大学)
招待講演「普及:10億ドルをかけた挑戦」
David H. Barlow (Boston University, USA)
Invited Address: Dissemination: The (Multi) Billion Dollar Challenge: Are We Getting It Right?
 
ボーゲルズ(マーストリヒト大学) 
「子どもの不安障害の原因と治療における家族の役割」
Susan Bögels (University of Maastricht, the Netherlands)
The Role of Fathers in the Aetiology and Treatment of Childhood Anxiety Disorders
 
ブラウネル(エール大学) 
「世界のダイエットを変えることができるか?」
Kelly Brownell (Yale University, USA)
Is There the Courage to Change the World's Diet?
 
チャンブレス(ペンシルバニア大学) 
「不安とカップル」
Dianne Chambless (University of Pennsylvania, USA)
Anxiety and Couples: For Better or for Worse
 
DAクラーク(ニュー・ブランスウィック大学) 
「強迫観念のパラドクス」
David A. Clark (University of New Brunswick, Canada)
Too Much in the Head: A Paradoxical Look at Obsessions
 
DMクラーク(ロンドン大学精神医学研究所) 
「対人恐怖:認知理論と認知療法」
David M. Clark (Institute of Psychiatry at Kings College London, UK)
Social Phobia: Cognitive Theory and Therapy
 
コロム(スペイン、神経科学臨床研究所) 
「心理療法:医原病から実証にもとづく医学治療へ」
Francesco Colom (Bipolar Disorders Program, Clinical Institute of Neuroscience, Spain)
Psychotherapy: From Iatrogenia to an Evidence-Based Medical Treatment
 
クラスケ(カリフォルニア大学ロサンゼルス校) 
「不安障害へのエクスポージャー法中の学習を最適化する」
Michelle Craske (University of California, Los Angeles, USA)
Optimizing Learning During Exposure Therapy for Anxiety Disorders
 
デイビス(エモリー大学) 
「薬物療法と心理療法を結びつける新しい道」
Michael Davis (Emory University, USA)
Novel Ways to Combine Medication with Psychotherapy: Improving Extinction Learning During Psychotherapy
 
デ・ジョング(グローニンゲン大学) 
「無意識と精神病理学」
Peter de Jong (University of Groningen, the Netherlands)
The “Unconscious” and Psychopathology: New Insights from Implicit Cognition Research and their Clinical Implications.
 
エーラーズ(ロンドン大学精神医学研究所) 
「外傷後ストレス障害の病理と治療への認知アプローチ」
Anke Ehlers (Institute of Psychiatry, Kings College London, UK)
A Cognitive Approach to Understanding and Treating Posttraumatic Stress Disorder
 
エンメルカンプ(アムステルダム大学) 
「強迫性障害への認知行動療法」
Paul Emmelkamp (University of Amsterdam, the Netherlands)
Cognitive Behavior Therapy for Obsessive-Compulsive Disorder: The State of the Art
 
フェアバーン(オクスフォード大学) 
「診断横断的認知行動療法」
Christopher Fairburn (Oxford University, UK)
Transdiagnostic CBT: Potential Strengths and Weaknesses
 
フリーストン(ニューカッスル大学) 
「臨床スーパービジョン:技か科学か?」
Mark Freeston (Newcastle University, UK)
Clinical Supervision - Art or Science?
 
ガレティ(ロンドン大学精神医学研究所)
「精神病への認知行動療法の将来」
Philippa Garety (Institute of Psychiatry, UK)
The Future of CBT for Psychosis: Theory, Research Findings and Implications for New Therapy Developments
 
ハールウェーグ(ブラウンシュバイグ技術大学)
「カップルを強化する」
Kurt Hahlweg (Technical University of Braunschweig, Germany)
Strengthening Couples: Dissemination of Interventions for the Treatment and Prevention of Couple Distress
 
ヘイズ(ネバダ大学) 
「効果的な訓練をどう作るか? ウサギとカメと診断横断的プロセス」
Steven C. Hayes (University of Nevada, USA)
How Do We Create a More Progressive Discipline? Turtles, Hares, and Transdiagnostic Processes
 
ホロン(バンダービルト大学) 
「うつ病の治療と予防における認知行動療法」
Steven Hollon (Vanderbilt University, USA)
Cognitive Behavior Therapy in the Treatment and Prevention of Depression
 
キーン(国立PTSDセンター、ボストン大学)  「
トラウマ、戦争、テロリズム」
Terry Keane (National Center for PTSD, Boston VA Healthcare System and Boston University, USA)
Trauma, War, and Terrorism: Recent Findings in the Treatment of PTSD.
 
リネハン(ワシントン大学) 
「境界性人格障害への弁証法的行動療法」
Marsha Linehan (University of Washington, USA)
Dialectical Behavior Therapy for BPD: an Overview of the Data
 
マーラット(ワシントン大学)  
「嗜癖行動の治療におけるマインドルネス再発予防」
G. Alan Marlatt (University of Washington, USA)
Mindfulness-Based Relapse Prevention in the Treatment of Addictive Behaviors
 
マクナリー(ハーバード大学)  
「精神病理学の実験的解明」
Richard McNally (Harvard University, USA)
Experimental Exploration of the Frontiers of Psychopathology
 
モリン(ラベル大学) 
「不眠症への認知行動療法」
Charles Morin (Laval University, Canada)
CBT for Primary and Comorbid Insomnia:  New Trends in Treatment Development and Dissemination
 
ムノズ(カリフォルニア大学サンフランシスコ校) 
「健康不平等を減らすために認知行動アプローチを用いる」
Ricardo F. Munoz (University of California, San Francisco, USA)
Using behavioral and cognitive approaches to reduce health disparities worldwide: From individual therapy to evidence-based Internet interventions.
 
オレンディク(バージニア・ポリテクニク研究所、バージニア州立大学)
「子どもと思春期の恐怖症と不安障害の治療」
Tom Ollendick (Virginia Polytechnic Institute and State University, USA)
Treatment of Phobic and Anxiety Disorders in Children and Adolescents: Where To From Here
 
パーソンズ(サンフランシスコ湾地区認知療法センター) 
「ケース・フォーミュレーション主導の認知行動療法」
Jacqueline B. Persons (San Francisco Bay Area Center for Cognitive Therapy, USA)
Case Formulation-Driven Cognitive-Behavior Therapy
 
ペトレンコ(ラトガース大学)
「発達障害」
Michael Petronko (Rutgers University, USA)
Developmental Disabilities: In Search of Practice Based on Evidence, a 40 year Sojourn
 
ピント(ナポリ精神衛生局) 
「精神病への認知行動療法」
Antonio Pinto (Department of Mental Health of the Province of Naples, Italy)
CBT of Psychosis: Historical Evolution and Current Approaches
 
カーク(プエルト・リコ大学医学部) 
「恐怖の克服:消去の神経学的メカニズム」
Gregory Quirk (University of Puerto Rico School of Medicine, Puerto Rico)
Overcoming our Fears: Neural Mechanisms of Extinction
 
リーフ(フィリップ大学) 
「医学的疾患の心理学的介入」
Winfried Rief (Phillips University-Marburg, Germany)
Psychological Interventions in Medical Conditions: Advances of Behavioral Medicine
 
ヤング(ニューヨーク認知療法センター) 
「人格障害に対するスキーマ療法の最近の進歩」
Jeffrey Young (Cognitive Therapy Center of New York, USA)
New Advances in Schema Therapy for Personality Disorders
 
ゼイス(ワシントンDC退役軍人中央局)
「高齢者の健康ケアを高める」
Antonette M. Zeiss (VA Central Office in Washington, DC, USA)
Integrated Health Care for an Aging Population: CBT As a Component of Comprehensive Care For Older Adults
 

外来種が在来種を絶滅させる

ブラックバス
ブルーギル
外来種が在来種を絶滅させる

日本社会という在来種システムにとって良い喩え話

放射性物質の漏えいを止める具体的な方法

深刻な状態が続く福島第一原子力発電所から外部への放射性物質の漏えいについて、経済産業省の原子力安全・保安院は、漏えいを止めるためには本格的な冷却機能の回復が必要で、それまでには今後、数か月がかかるという見通しを示しました。福島第一原子力発電所では、タービン建屋にたまった水や、建屋の外の「トレンチ」というトンネルの水から高い濃度の放射性物質が検出され、汚染された水が直接海に流れ出すなど、発電所の外への放射性物質の漏えいが止まりません。これについて、原子力安全・保安院の西山英彦審議官は、3日の記者会見で「原発から、放射性物質が漏れ出さないようにするためには、まず、原子炉を冷却する本格的な仕組みを構築することが必要だ」と話しました。そのうえで、西山審議官は「冷却機能の構築のためには、建屋にたまった汚染した水の除去や、作業員が被ばくしないよう強い放射線を遮るための対策が必要で、これから数か月はそうした作業に費やされる」と述べ、放射性物質の漏えいが止まる前提となる本格的な冷却機能の回復までには、今後、数か月がかかるという見通しを示しました。また、国の原子力安全委員会の代谷誠治委員も3日の記者会見で、原発の施設の中に放射線の数値の高い場所があることや、たくさんのがれきが残されていることを挙げて、本格的な冷却機能を回復させて放射性物質が外部に漏れ出すのを食い止めるには、月単位の時間がかかるという見方を示しています。 

ーーー
いじるにも放射能が高くて近づけない
汚染水はどんどん流れ出していて
フランス企業が『処理してあげる』と莫大な請求書をちらつかせている

冷却機能を回復させるのに何をするのか書いていないが
数ヶ月かかれば事態が好転するのだろうか?
普通に考えて崩壊が進行すると思うのだが

虎とか生き物だったら数ヶ月待っていればどうにかなるかもしれないが
性質が違うでしょう

早く止めないと意味が無いのではないか?

で、どうすればいいかだけれど、何人かに聞いてみたがよく分からない。
普通危険なものには最終処分のしかたなんていうマニュアルが付いてくるんだけど
付いてなかったのかな

うまい方法はないでしょうねとか
評論家みたいなことを言ってないで
必死に考えようよ

地上の星を手厚く弔う方法

地上の星を手厚く弔う方法
名もなき星にふさわしい礼を尽くす

感情や衝動に振り回される 愛は盲目

 感情や衝動に振り回されるとは、どういうことでしょうか? 怒りや攻撃性の衝動については、しばしば「キレる」という言い方をしますが、何が切れることを意味しているのでしょうか? これが今回のお題です。

  感情や衝動といったものは脳の古い部分(辺縁系)で生じ、脳の新しい部分(大脳皮質、特に前頭前野)がそれを抑えたり優先順位付けをして適切にコントロールしているのだろうと考えられています。これは、怒り・攻撃性についてもそうですし、性的欲動についてもそうですし、悲しみや不安についてもそのようです。

  例えば、性的欲動を前頭前野が抑えていることを示すBeaureardらの研究(2001年)があります。
  実験では被験者の男性にエロビデオを見せながら脳の活動性をfMRIで測定するという方法を使っています。すると、ビデオを見ながら性的に興奮するがままにしていた時に比較して、性的な欲動を意図的に抑えようとすると、前頭前野の活動性が上がり、辺縁系や視床下部の活動性が下がっている事が確認されました。つまり、前頭前野が感情や衝動をつかさどる「古い脳」を抑え込んでしまったのです。(視床下部は性的欲動の身体面での発現に関連していることが知られています。)

  同じBeauregard先生は、別の実験(2003年)で、今度は女性被験者を対象に悲しいビデオを見せてストーリーに没入して悲しんで良い時に比較して、悲しさという感情を意図的に抑えようとした時では、やはり前頭前野の活動性が上がっていることを示してもいます。

  さらに、「身もふたもない精神医学の話」でも紹介したPietriniらの実験(2000年)では、暴力性や攻撃性のコントロールに前頭前野が重要な「抑え」としての役割を果たしていそうなことを、面白い方法で示しています。被験者はfMRIで脳の活動性を測りながら「あなたが、お母さんと一緒にエレベーターに乗っていたら人相の悪い男2人が入ってきた」という状況を想像するように指示されます。「暴力を我慢する」課題では、「その男2人があなたのお母さんを殴ったりするが、あなたは我慢する」という状況を想像するように指示され、「暴力を我慢しない」課題では被験者に空想の中で反撃が許可され「あなたは、その男2人を半殺しにするまで殴る」という状況を想像するように指示されるのです。その結果、暴力をふるって良い時には図に示すように前頭前野(特に内側)で脳の活動性が低くなることが観察されたのです。

  私たちの感情・衝動には、暴力や攻撃性につながる憎しみもありますし、性行動につながる性欲もありますし、悲しみや不安などといったネガティブな感情も、喜びや幸せといったポジティブな感情もあります。一般的に、ポジティブなものでもネガティブなものでも、その感情・衝動が強いと私たちは「我を忘れる」ほどに感情・衝動に振り回されることになることがあります。前頭前野からの支配が「キレる」という現象は攻撃性・暴力性だけに限ったものではないわけです。

  例えばBartelsらの研究では、「愛情」という情緒に注目し、被験者に恋人の写真を見せたり、子どもの写真を写真を見せたりしながら、脳の活動性を測定する実験を行い、そのどちらの種類の「愛情」でも前頭前野の活動性が低下することを示しています。Bartels先生は「『愛は盲目』と言われるのは本当だった」というような言い方をしています。
  活動性が低下する前頭前野の部分は共感性に関連した部位であり、この活動性が低下するということは、つまり「相手の気持ちを察する能力」が落ちるということを意味します。愛情とは相手の気持ちを大切にし思いやることであるはずなのに、何だか変です。

  しかし、ある意味ではもっともな気もします。恋愛の初期などは特にそうでしょうが、「愛情」というこちら側の一方的な気持ちをぶつけていくわけですから、相手の気持ちを思いやっていたら全然先に進めるはずもないのです。「恋の病」で多少ヘンになってしまっていた方が、恋愛を進展させる行動を起しやすくなるのであり、それによって相手の恋愛感情を引きだして行けるのであり、その意味で進化の過程で生存競争上より有利だったのでしょう。

  同様なことは怒り・攻撃性・暴力性についても言えます。怒りにまかせて相手に暴力をふるおうとする時に、相手の痛みや辛さなどに「共感」してしまっていては、効果的に攻撃行動をすることができなくなります。進化の過程で生存競争上より有利なのは、攻撃性・暴力性を発揮する時には、前頭前野の働きを一時的にでも抑え、余計な「思いやり」の気持ちを排除することだったのでしょう。

  性的欲動に関連した性行動についても同様でしょう。私たちは普段は服を着るなどして隠すべきところは隠し性的なものに「封印」をしているのと同様に、普段は前頭前野が多かれ少なかれ性的欲動を抑えています。逆に性的欲動の封印を解き、性行動に至る時には前頭前野の活動性を一時的にでも抑えておかないと、(おそらく羞恥心やその他のネガティブな感情が先にたってしまって)効果的に性的行動を行う事が難しくなるのでしょう。

  だから、性的興奮が盛り上がっている時にした性行為をビデオか何かで記録しておき、後で興奮が冷めてから冷静な頭になって見てみたら、意外なほど「なんてお馬鹿になっているんだ」とショックを受けるかもしれません。
  ・・・まあ、わざわざそんなことをする人はあまりいないでしょうけど。

参考文献:
Beauregard M, et al. Neural correlates of conscious self-regulation of emotion. Journal of Neuroscience, 2001

ーーーーー
というような記事があったのだが
まあ、そうなのだろう





選ぶつもりで選ばされる手品

選ぶつもりで選ばされる手品

孤独な夜

私が若い頃から切望したのは孤独な夜である

ーーー
しかし年をとってからの孤独は常にネットが侵入している

ネットのある孤独は孤独ではないだろう

ーーー
痛いほどの孤独の中で精錬されるものがある そのような幻想の中でなお生きている

純化の幻想

ーーー
孤独な人間がネットに向かいキーボードを打つとき
なにかとても目を覆いたくなるような事態が発生していると思うのだけれど
うまく言葉に出来ない

近松でも西鶴でも芭蕉でも清少納言でも現代に連れてくれば
それはそれでうまく泳ぐと思う

シェイクスピアの場合はどうかと思う
それは奇跡だと思うから

バッハみたいなもので、ある程度原型があったようだが
原型があったとしても
火花が散らなければシェイクスピアにはならない

ーーー
結局だから
お前がいると
私は濁る

原子力で食っている人々

原発で食っている連中をいくら集めてもだめだ。皆、原発のマフィアだから。あなた方もテレビを見ていただろう。委員だの何だの学者が出てきて、ずっと今まで、大したことありません、健康には何も被害はありません、とかそんなことばかり言っていた。原子力で食っている人々だから、いくら言ったってだめなんだ。

ーーー


ジャズ 一回きりの即興 カウンセリング

カウンセリングは
一回きりの即興だという感じがする

いつも同じように演奏することが目標にはならないだろう

即興を理論化するのもどうかなとも思う

理論屋はそうしたいだろうが

キャベツと玉ねぎがあるので何をしようか考えた

キャベツと玉ねぎがあるので何をしようか考えた
塩コショウで野菜炒めでいいのだけれど
なんだかつばが出ない
ガラムマサラがあるのでカレー味にしようと思ったけれど
それくらいならカレーを作ったほうがいいと思い
しかしキャベツと玉ねぎのカレーってどうかなと考え直し
鷹の爪と大蒜があればぺペロンチーノができるけれど
野菜が沢山のペペロンチーノは好きじゃない感じがする

クックパッドで検索すると
一番上は
http://cookpad.com/recipe/1451407 
新食感!キャベツとたまねぎの和風パスタ

和風というけれど わさびマヨネーズ味である
なるほどいいかもである

キャベツと新玉ねぎのおかぽん炒め http://cookpad.com/recipe/1437271
というのがあって 本当に キャベツ+玉ねぎ+おかか+ポン酢 である
簡単すぎるがそれでいいのだろう

爽やか!春キャベツと新玉ねぎの甘酢漬け http://cookpad.com/recipe/1434566
というのがあって これをオリーブオイルとバルサミコでつくったらいいだろうな

なるべく薄くスライスして生で食べるのが多分好きだな
でも薄いスライスはマシンがないと私には無理

考えているうちにスイカが食べたくなったので食べて
今日はおしまい

キャベツと玉ねぎを電子レンジでチンして
鷹の爪と乾燥にんにくを入れて
オリーブオイルと混ぜて一晩冷蔵庫に入れておく
そして明日パスタを茹でて一緒に食べる

喩え話

喩え話は物事を正確に限定的に定義的には伝えないかもしれないが

その人の心に何かの種を宿すように思う

昔話は不思議

難しいことを簡単に分かりやすく印象的に頭に残るように言う

難しいことを難しく長く言うのではなく

難しいことを簡単に分かりやすく印象的に頭に残るように言う

何かを考えつくってそういうことでしょう

考えついたまんまを語れば分かりやすいはずなんです

オリーブ5


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オリーブ4

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オリーブ2

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オリーブ

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広尾の疲労を拾う

広尾はひろおだけれど
疲労のひろうとハッキリ区別出来なくて
一方、モノを拾うときのひろうは
区別出来るように思うので

読み仮名としての ひろおとひろうがほぼ同じで
いっぽう ひろう と ひろう は違いがわかるので
どうしたことか

ヘンデスネと言われて
上手く説明できないけれど
日本人が特に混乱もなく生活できているんだから
それでいいんだよ

詮索しすぎとか 強迫症状の一種で 根底には不安があるんだって
本に書いてあるよ


土建屋が立法

土建屋が立法するとは

土建屋が法律作ったら堤防を作りまくるに決まっているではないか

不安と回避

不安が生じたときに
その不安を回避するために
回避行動が発生し
その回避行動が不安を強化することになるのは
よく説明されている

やってみればたいしていやなことでもないのだが
いやだと思い込んでいるて
回避しているうちにとてつもなくいやなモノ・不安なモノになってしまう

回避しているから想像の中で、とても不安なことになってしまうわけだ

ーーー
回避するならするで辻褄を合わせるようならばいいのだけれど
それが出来ないから病気なのであって
そのあたりは簡単ではない

辻褄を合わせるというのは
たとえば酸っぱいブドウの話のように自分の内部で辻褄を合わせたり
あるいは
たとえば外部に対して、自分は現実に損をするけれども、それで構わないので
回避を継続させてくれと、自分なりの価値判断をハッキリと示す

世の中の人なんて、他人に対してそんなに濃厚に関わっているわけでもないので
それならそれでいいだろうということになると思う

さっさと辻褄を合わせればそれはそれでいいのだろうと思う

自分は対人恐怖だからカラオケには行かないし
高所恐怖症だから高い場所でのミーティングは出席しない
そう言っておけばそれはそれで問題ないだろうと思う
損失は出るわけだが
それは承知の上と宣言すればそれでいいように思う

ーー
不安があったとして
その不安を現実の物として引き受けるしかない場合も多いわけで
ある程度鈍感になったり
気分の切り換えをしていこうと割り切ることも必要である


ーー




内省力の中身

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この表で、どの位置にどの治療法が分類されるべきかについて、
そもそも各人の考えが反映されるのだろうと思う。

ーーー
変化への動機付けとか、内省力・洞察力・気づきの能力とかいうものも、
結局、意欲はあったとしても、能力の問題という側面もないではない。

やる気はあってもできないことも世の中には多い
その結果としてやる気がなくなったからうつになるのだろうとも思う

いや、うつになったからやる気が出ないのでしょうともいえるのだけれど

横軸を「内省への意欲」と解釈するよりも
「内省の能力」と解釈した方が、現実として役立つように思う

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内省の意欲があって、理解が欠如している人は
要するに何か勘違いしているのであって、
むしろ治療の最大の妨げである

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理解力の高い人は、何冊か本をまとめて読めば
そこから何かをくみ取るはずのもので
むしろこちらが教えられることがある

たとえば、IT関係で仕事をしている人が心理の本を読むと
そこでは心理学とITが出会っていて
心理学の言葉を使わないで、要するに言いたい事はこういう事でしょうと
IT系の言葉で説明される
その場合はマシンとかソフトという実体があっての話なので
非常にわかりやすい

そのような理解の出来る人であれば
当方の心理療法もたいへん進めやすい

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本なんか読んでも頭に入らん、難しい話は要らないから、結論だけ教えて下さい、
要するにどうしたらいいのかだけ教えて下さいという場合、
ああ、これはあかんなあと、私は思ってしまう

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すごく勉強したいんです、本も読みたいんですとかいう場合、
非常に独自な理解をする人もいて
その場合は読書は治療に役立ったと言うよりも、
独自な人なんだなという診断に役立つだけで
これもあかんなと思ってしまう

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それならばどんな人が治るのかといえば
つまり、自分のことがよくわかっていて、
本を読めば理解も出来て、
そんな人がクリニックに来れば
お医者さんの話もよくわかり
お薬の説明もよくわかり
結果としてよく治るわけだ

そうでない人に関して、どうしたらいいものか、いまだによくわからない

その人なりの理解のレベルの範囲内で何かをしてあげるということが
はたしてよいことなのかどうか

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治療にとって都合のいい思い違いをしていることもないではない
治療者や治療法に関しての非現実的な思い込みがある場合
最初の3回くらいは上手く運ぶ
その後がなかなか大変
その人は現実を見ているのではないから

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理解を向上させることは出来るが
理解力を向上させることは出来るのだろうか

知能指数を向上させるというような矛盾した言い方になるのかもしれない

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ネガティブに考えるからいけないんだ
ポジティブに考えるようになりたいんです
という方向での
「変化」を期待しているとすれば
どうしたらいいものかのう

そう言うことをいわれたい人もたくさんいるし
そう言うことをいいたい人もたくさんいるので
それはそれでいいものだろうか






















症状によりストレスを知るのではなくストレス自体によりストレスを知る

症状によりストレスを知るのではなくストレス自体によりストレスを知る
ことも大切ではないかと思う

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ストレスと症状の関連でいえばやはりそこには時間差がある

時間差なく、リアルタイムでストレスを感覚して、対処するのがよい


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