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不安と回避

不安が生じたときに
その不安を回避するために
回避行動が発生し
その回避行動が不安を強化することになるのは
よく説明されている

やってみればたいしていやなことでもないのだが
いやだと思い込んでいるて
回避しているうちにとてつもなくいやなモノ・不安なモノになってしまう

回避しているから想像の中で、とても不安なことになってしまうわけだ

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回避するならするで辻褄を合わせるようならばいいのだけれど
それが出来ないから病気なのであって
そのあたりは簡単ではない

辻褄を合わせるというのは
たとえば酸っぱいブドウの話のように自分の内部で辻褄を合わせたり
あるいは
たとえば外部に対して、自分は現実に損をするけれども、それで構わないので
回避を継続させてくれと、自分なりの価値判断をハッキリと示す

世の中の人なんて、他人に対してそんなに濃厚に関わっているわけでもないので
それならそれでいいだろうということになると思う

さっさと辻褄を合わせればそれはそれでいいのだろうと思う

自分は対人恐怖だからカラオケには行かないし
高所恐怖症だから高い場所でのミーティングは出席しない
そう言っておけばそれはそれで問題ないだろうと思う
損失は出るわけだが
それは承知の上と宣言すればそれでいいように思う

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不安があったとして
その不安を現実の物として引き受けるしかない場合も多いわけで
ある程度鈍感になったり
気分の切り換えをしていこうと割り切ることも必要である


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