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内省力の中身

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この表で、どの位置にどの治療法が分類されるべきかについて、
そもそも各人の考えが反映されるのだろうと思う。

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変化への動機付けとか、内省力・洞察力・気づきの能力とかいうものも、
結局、意欲はあったとしても、能力の問題という側面もないではない。

やる気はあってもできないことも世の中には多い
その結果としてやる気がなくなったからうつになるのだろうとも思う

いや、うつになったからやる気が出ないのでしょうともいえるのだけれど

横軸を「内省への意欲」と解釈するよりも
「内省の能力」と解釈した方が、現実として役立つように思う

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内省の意欲があって、理解が欠如している人は
要するに何か勘違いしているのであって、
むしろ治療の最大の妨げである

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理解力の高い人は、何冊か本をまとめて読めば
そこから何かをくみ取るはずのもので
むしろこちらが教えられることがある

たとえば、IT関係で仕事をしている人が心理の本を読むと
そこでは心理学とITが出会っていて
心理学の言葉を使わないで、要するに言いたい事はこういう事でしょうと
IT系の言葉で説明される
その場合はマシンとかソフトという実体があっての話なので
非常にわかりやすい

そのような理解の出来る人であれば
当方の心理療法もたいへん進めやすい

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本なんか読んでも頭に入らん、難しい話は要らないから、結論だけ教えて下さい、
要するにどうしたらいいのかだけ教えて下さいという場合、
ああ、これはあかんなあと、私は思ってしまう

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すごく勉強したいんです、本も読みたいんですとかいう場合、
非常に独自な理解をする人もいて
その場合は読書は治療に役立ったと言うよりも、
独自な人なんだなという診断に役立つだけで
これもあかんなと思ってしまう

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それならばどんな人が治るのかといえば
つまり、自分のことがよくわかっていて、
本を読めば理解も出来て、
そんな人がクリニックに来れば
お医者さんの話もよくわかり
お薬の説明もよくわかり
結果としてよく治るわけだ

そうでない人に関して、どうしたらいいものか、いまだによくわからない

その人なりの理解のレベルの範囲内で何かをしてあげるということが
はたしてよいことなのかどうか

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治療にとって都合のいい思い違いをしていることもないではない
治療者や治療法に関しての非現実的な思い込みがある場合
最初の3回くらいは上手く運ぶ
その後がなかなか大変
その人は現実を見ているのではないから

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理解を向上させることは出来るが
理解力を向上させることは出来るのだろうか

知能指数を向上させるというような矛盾した言い方になるのかもしれない

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ネガティブに考えるからいけないんだ
ポジティブに考えるようになりたいんです
という方向での
「変化」を期待しているとすれば
どうしたらいいものかのう

そう言うことをいわれたい人もたくさんいるし
そう言うことをいいたい人もたくさんいるので
それはそれでいいものだろうか






















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