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一次情報と加工

人がモノを考えたり
話をしたりするとき
一次情報に基づいて確かなことを伝えるという「科学的」な場合は少なくて
たいていは一次情報を加工して二次情報を伝えているに過ぎない

一次情報ならば、その裏付けをとったり、
大事なことならば「実験」をして確証することもできる

しかし大半の人間は
情報の加工のしかたを競い演じている

都会への留学で知ったことを、田舎で二次情報として語ること、などが典型例である

「情報の加工のしかた」は「精神医学」の範囲内になる

精神医学は情報加工システムの排出物を一次情報として扱う

そのあたりが特に興味深いところだと思う

ーーー
世間には愚かな話のほうが圧倒的に多いけれど
どのように間違うものなのかを科学することはできる

そう考えればすべての話は一次情報になる

ーー
そういう点で価値のあるものが日々、ネットの仮想空間に積み上がっていると考えると意義がある
無限に反復される愚かさは生物の脳そのものである

やがてほぼ人間の脳の特性を備えた構造が出来上がり
そのなかで精神の病をシュミレートできるようになるだろう

人間がわざわざ生きる必要などあるのだろうかと
小説「オブローモフ」のように問うだろう





マインドフルネス

マインドフルネス関係の本もいろいろあって
今読んでいる本は食事とマインドフルネス

マインドレスに食事をしているとよくないですね
マインドフルに食事をしましょう

その細かい方法は、という感じで、マインドフルネス関係の本に多い、盛りだくさんの活字
どうしてこんなにくどいのだろう。

ミヒャエル・エンデとか、そんな感じがする

ーー
人に何かを説明するときに
こんなにも大量の活字がほんとうに必要なのかと思う

喩え話とかが書いてあるのだけれど
ヒットしている喩え話とも思えない

長いなーと思って読んでいると
一種の催眠術みたいだ

ーー
こういう関係の本は『何が』書いてあるか、とうだけではなくて、
それがどのように書かれてあるか、ということがかなり大事なんだろう

そこから何かを汲みとって次に活かせばいいということらしい。



心療内科専門クリニックのご案内

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パニック障害と診断されて

パニック障害と診断されて7年になります。
診断された時ホッとした覚えがあります。

とのこと

劇団四季 アイーダ 

ミュージカルとかまあ、アメリカ人の趣味だと思っていたのだが
日本人でもお好きな人がいくらもいる

このあたりに躁うつ病の時代が見える

英語を話していると すこし 気分も違って たとえば ドライブでハンドルを握っている気分


AIDA - Elaborate Lives (Korean cast)というのもある

いろんな意味で異次元だ

生産性の上昇

労働力をはじめとする投入量の拡大による成長(粗放型成長)から
生産性の上昇による成長(集約型成長)に転換しなければならない

生産性の向上のはてにうつ病がある


為政者の徳

為政者にとっての徳

知性や感情と違って
徳の存否は分かりにくい

分かりにくいものであるから
徳があると言い張ることもできるし
徳があるふりを装うこともできる

そのようなことができるから
徳が大切だと言っておけば
凡庸な君主でも生き延びることができる可能性が出てくる

強迫性性格の場合

たとえば男性の場合でカメラとかパソコンとかで
情報を集める
買う
使って写真を集めたり情報を集めたりする
それをさらに加工する
それを題材にして友達を広げる

強迫性性格の場合は
「手前のところでいっぱいになる」
ので

情報を集める、比較検討する、スペックに異常に詳しくなる、などの局面で
人生を消費する

早く次の楽しみに進んだほうがいいよ

プロ野球の解説でいう「流れ」

プロ野球の解説でいう「流れ」は
なんだろうね

弱者を救うメシアとしての自分

弱者を救うメシアとしての自分を
存在させるためには
弱者が必要である

メシア願望の背景には
より偉大なメシアに自分自身も救済されたい
という願望も見える

ヒエラルキーの内部で
その歯車としての自分を安定させたいと
考えるようだ

小佐古敏荘内閣官房参与が辞任 枝野官房長官 明らかに誤解していると反論

校庭20ミリ・シーベルト規制「妥当」…安全委

 年間20ミリ・シーベルトの放射線量を上限に福島県の保育園や幼稚園、小中学校の校庭利用を認める政府の方針に抗議して、小佐古敏荘 こさことしそう 内閣官房参与が辞任をした問題で、原子力安全委員会事務局の加藤重治内閣府審議官は30日、福島第一原発の事故対策統合本部の共同記者会見で、「線量をできるだけ低くする努力は必要」としながら、基準自体は「国際放射線防護委員会(ICRP)の考え方に基づいている」と述べ、妥当とする考えを示した。

 文部科学省も当面は現行の基準を続ける考えを示したが、福島県生活環境部の佐藤節夫部長は30日、「地元は不安が高まり、何を信用していいのか、ということになりかねない」と、政府の混乱ぶりを批判した。

(2011年4月30日20時49分  読売新聞)

「場当たり的」批判、官房長官は「誤解」強調

 小佐古敏荘 こさことしそう 東大教授(放射線安全学)が、東京電力福島第一原子力発電所事故を巡る政府の対応を「場当たり的だ」などと批判して内閣官房参与を辞任したことは、首相が東日本大震災後に次々と任命した参与を使いこなせていない実態をあらわにした。

 首相は30日の衆院予算委員会で、「見解の相違だ。政府は参与の意見も含め、議論の結果に基づく原子力安全委員会の助言で対応している。場当たり的とは考えていない」と強調した。

 高木文部科学相は小学校などの校庭利用の安全基準に関し、「この方針で心配ない」と明言。枝野官房長官も記者会見で「20ミリ・シーベルトまでの被曝ひばくを許容したものではない。明らかに誤解している」と反論した。

 ただ、震災後、小佐古氏を含めて6人も参与に起用したのは首相自身だ。今回の事態が新たな痛手となるのは避けられそうにない。

(2011年5月1日01時05分  読売新聞)

首相「原発対応、場当たり的でない」 辞任参与に反論

菅直人首相は30日午前の衆院予算委員会で、放射線安全学が専門の小佐古敏荘(こさこ・としそう)東大大学院教授が菅政権の原発事故対応を批判して内閣官房参与を辞任したことについて「専門家の間の見解の相違から辞任された。大変残念だが、決して場当たり的な対応ではない」と答弁した。

 小佐古氏は原発事故への助言を求められ3月16日に参与に就任したが、4月29日に菅政権の対応を「法律や指針を軽視し、その場限りだ」として辞意を表明。特に小学校などの校庭利用で文部科学省が採用した放射線の年間被曝(ひばく)量20ミリシーベルトという基準を「とんでもなく高い数値。年間1ミリシーベルトで運用すべきだ」と厳しく批判した。

 首相は「政府は参与の意見も踏まえた議論の結果に基づく助言で対応している」と、小佐古氏の批判はあたらないと反論した。

 高木義明文部科学相は年間被曝量20ミリシーベルトの基準について「国際放射線防護委員会の勧告を踏まえた。この方針で心配ない」と述べた。高木氏は「放射線による疾病よりも、被曝ということ自体のストレスが大きな問題だという評価もある。過度の心配をするのはよくない」とも述べた。

 枝野幸男官房長官は30日の記者会見で、小佐古氏の辞表を同日受理したとしたうえで、「(小佐古氏は)明らかに誤解している。20ミリシーベルトまでの被曝を許容する基準では全くなく、20ミリを大幅に下回る見通しのもとで示している」と説明。「辞任の意向と聞き、今日の予算委終了後に総理が会うと伝えたが、突然辞表を持ってきた。慰留する状況ではなかった」とも明らかにした。

 海江田万里経済産業相は衆院予算委で、原発事故に伴う東京電力の賠償までの期間が長引いた場合、政府が一時的に立て替えて被害者に支払うことを検討する考えを明らかにした。「(賠償まで)あまり長引くようなら考えないといけない」と語った。

 衆院予算委員会は30日午前、震災の復旧対策を盛り込んだ第1次補正予算案を、全会一致で可決した。30日午後に衆院本会議で可決される見込み。

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枝野幸男官房長官は、「(小佐古氏は)明らかに誤解している。20ミリシーベルトまでの被曝を許容する基準では全くなく、20ミリを大幅に下回る見通しのもとで示している」と説明。
とあるのだが、これが説明なのかな。

彼はいま素直になれていません

彼はいま素直になれていません

上映前に解説が流れる外国映画がある。三国志時代を描いた『レッド・クリフ』やナチスドイツ時代を描いた『ワルキューレ』の上映前には歴史背景の解説がある。この解説はもちろん日本オリジナルだ。『レッド・クリフ』や『ワルキューレ』は外国の歴史を扱った映画なので、日本人向けの解説を入れるのは理解できるんだが……トリック映画の『シャッター・アイランド』の上映前に映画のトリックに関する解説が流れたのは驚いた。そういえば『シックス・センス』が流行っていた頃は本編が始まる前に「結末を誰にもバラさないでください」とハッタリ的な注意書きが出てくる映画があった。『シャッター・アイランド』も同じようにハッタリ的な効果を狙っている(と思う)ので、トリック解説を批判するつもりはない。でも俺はトリック解説よりも別の注意書きの存在にちょっと違和感を感じた。こんな意味の注意書きが出てきたのだ。

登場人物の表情や目の動きに注意してご鑑賞ください
え?それって注意書きが必要なの?いや、これもハッタリの意味で注意書きを出したんだと思うけど。『シャッター・アイランド』には次のようなやり取りがある。レオナルド・ディカプリオ演じる捜査官が取り調べをしているシーンで
「あなたはレディスという男を知っているか?」
と聞き出す。そこで相手が
「知らない」
と答えるのだが、その表情がわかりやすいくらい強張っている。つまりその人物は「レディス」を知っている上に、「レディス」という質問に何か恐怖しているのだ。怪しい!注意書きを出した理由はこういったシーンがいくつかあるからだろう。でも映画を観るときに役者の表情から感情を読み取るなんて当たり前じゃん!少なくともアメリカ人たちは注意書き無しで『シャッター・アイランド』を観ているのだ。



とあるアメリカ映画の1シーン

とあるアメリカ映画を観に行ったときのお話。友人が自殺してしまった主人公が、友人の家に入って冷蔵庫をガチャっと開けるシーンがあった。そこにはシャンパングラスが2つ冷やされていて、主人公はシャンパングラスをジッと見つめるのだ。で、映画が終わると近くの観客たちが「あのシャンパングラスって結局なんだったの!」「わかんないよねー」と話し会っていた。あのシャンパングラスを見つめる意味は

自殺した友人は一人暮らし
友人はとある裁判の原告と合う予定だった
で、シャンパングラスが2つ冷やしてある
そんな時に自殺するのおかしい
自殺じゃなくて、殺されたのでは?
というかシャンパンを開けて何を祝うつもりだった?
もしかして裁判に大逆転できるほどの証拠が手に入っていたのか?
ってことは殺したのは被告側?
と、冷えたシャンパングラスを映しているだけで、セリフが無くても主人公の推理が観客に伝わってくる素晴らしいシーンだと思った。劇中ではシャンパンにまつわる会話が自殺直後に出てくるので、上記の推理は意識せずとも出来ると思う。でも俺の近くにいた観客はそれが出来なかった。

もちろんこの映画を観たアメリカ人にもシャンパングラスの意味がわからない人はいるだろう。だけど今の日本の大衆向け映画だったら、シャンパングラスを見つめているだけじゃなくて、主人公が説明的な独り言をつぶやく演出をやりそうである。

以下は映画『UDON』の中盤のネタバレ。

映画『UDON』の主人公:ユースケ・サンタマリアは莫大な借金を抱えているのだが、父親が勝手に返済してしまう。ユースケ・サンタマリアと父親は仲が悪いので、ユースケ・サンタマリアは怒り出してしまう。そのシーンを小西真奈美が解説するのだ。

その時の彼は”ありがとう”そう素直に言えない自分に誰よりも腹を立てていたのだと思います。


『UDON』は全編こんな感じである

いや、そんなの解説する必要ないだろ。それを表現するのが演出であり演技じゃないの?このように『UDON』では、そのシーンの感情や意味を常に小西真奈美が解説する。映画館で観た時はこの解説に唖然とさせられたけれど、もし『UDON』をDVDで観ていたら、唖然とする前に「あれ?小西真奈美のコメンタリー機能がONになったのか?」と思い込んだかもしれない。

大衆向けの日本映画は誰でもわかるように作られており、演技や演出を理解できなくてもセリフで説明してくれる。作り手だけが悪いとは思わないが、俺はこういうセリフを「フールプルーフ」と勝手に呼んでいる。設計用語のフールプルーフとはちょっとズレるけど。ちなみにバッド・ムービー・アミーゴスはこの風潮を、目をつぶって鑑賞しても映画の内容がわかるという意味で「バリアフリー」映画だと批判した。

前述の小西真奈美の解説については「何で破壊屋は批判するの?あったほうがわかりやすいよ」と思っている人もいるだろう。『GOEMON』の紀里谷和明のように、セリフでテーマを説明する脚本を批判されると、「セリフでテーマを説明して何が悪いの?」と逆に聞き返してくる映画監督も出てきた。俺もバカみたいにわかりやすい映画は大好きである。でもドラマを組み立てていくような映画で説明セリフが出てくるとシラける時があるのも事実だ。人間の表情やシャンパングラスを映しているだけでも、雄弁に語ることはできるのに。

ーーーーー
という話なんだが
実際そうだなあと思う

ここまで説明しないと伝わらないんです

推理もファンタジーも合理的推論も剥奪されて
ただ与えられるものを追認する精神が生産されている

この裏返しが『空気を読め』と言いつつ、確定の手がかりを与えない
いじわるなんです







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